離婚
僕もまた離婚経験者のひとり
いずれキミと、食事にでも行く機会が訪れるだろう。
もしかしたら、お酒でも飲むかもしれない。
吉祥寺あたり、歩いてみたいとも思う。
距離を置くことが、いい結果に繋がることもあると、僕は初めて知った。
10年ほど前のことだろうか。あの時、電話で僕は彼女に「大丈夫ですか?」と、安易に聞いてしまっていた。「大丈夫です」との答えが返ってくるとばかり思っていたに違いない。だが、「大丈夫じゃないです」と、彼女。その言葉を受けて、僕は彼女に言うべき言葉を失ってしまっていた。以来、僕は安易に「大丈夫ですか?」とは言わないようにしている。大丈夫ではないから相談しに来ている、あるいは、泣きながら電話をかけてきている。
似たような話で、先日僕はある女性に、「無理しないで」とは言えなかった。無理をしなければ仕事ができない。休めば収入が減る。
そんな彼女に対して、無力な僕。力が欲しい。(ええい、それでも何とかしてやるぞ。ちきしょう、ばかやろう)(2017.8.3)
君はこの手続きに関わってはいけない、どのジャンルにおいても、そう思える人が少なからずいる。離婚も同様、わかったふり、人のいいふり、理解あるふりをするなよと。
離婚は本当、面倒だ。こればっかりは、経験者でないとわからない。ましてや結婚したことさえなければ、なおさらわかりはしないだろうというのが率直なところ。
男も女も、前を向いて生きようとする。ゆえに、ぶつかってしまう。婚姻期間が長ければ長いほど、面倒な事情を多く抱えることになる。
完全にリセットできたらいいが、そうはいかないのが離婚。金で解決できることも確かに多いが、その金に多くが悩んでいる。そもそも、金に悩んでいなければ、離婚に至ることもなかったかもしれない。
さて、そんな状況、心情である僕があえて言葉を発するなら、「弾けようよ」の一言。もちろん、僕自身に対しても向けられている。弾ける、つまりはそれが、生きるであると。 (2014.7.24)
経験者の主観で言えば、離婚件数が多いのは、ある意味当然だと思う。昔、価値観など、違って当たり前だと思っていた。違ったところからスタートする、それが結婚だと。けど、今はそうは思わない。価値観は極力似ている方がいい。
といっても、価値観が同じ人など、そうそう出会えるものではない。ましてや、価値観そのものも多様化している。加えて男と女、肉体的相性も関係なくはない。これらを満たして上での結婚など、一回では無理だろう。見て見ぬふりをする、必要以上に突っ込まない、これもある意味、結婚生活を壊さないためには必要なことなのかもしれない。
だが、それは干渉しないことでもあり、干渉のない関係にどれだけの意味があるのだろうか。意味がないと思うに至った時点が、おそらく離婚を考え始めた時点。そして今、改めて思う。離婚は面倒くさいことで溢れている。(2014.6.23)
離婚も悪くないものだって感じている。強がりなんかじゃなくて。もちろん、悪いことしたなって気持ちもあるにせよ。